新宮城跡・水野家墓所

【史跡新宮城跡附水野家墓所】
史跡の概要
○史跡名称 新宮城跡附水野家墓所
○史跡指定年月日 平成15年8月27日
○所在地 ①新宮城跡:新宮市新宮字丹鶴

②水野家墓所:新宮市新宮字石ヶ坪

○指定範囲面積 34,290.92㎡

①新宮城跡:31,036.15㎡

②水野家墓所:3,254.77㎡

○所有者・管理者 新宮市
○構成 ①新宮城跡種別:平山城

縄張:連郭式構成〔天守台・本丸・出丸・鐘ノ丸・松ノ丸・水ノ手〕

②水野家墓所:新宮城主歴代と親族の墓碑16基

 

新宮城メイン

新宮城跡は、丹鶴城とも呼ばれる紀州家の付家老であった水野氏の城跡。市街地の北端、かつて丹鶴山と呼ばれた独立丘陵上にあり、丘陵北側の直下を熊野川が流れ、熊野川の水上交通を押さえる 要衝に城は築かれました。丘陵東部の最高所(標高約60m)に「本丸」が、その西南端に「天守台」があり、熊野灘の沖行く船を見ることができます。そのため「沖見城」ともよばれました。本丸の南西には「鐘ノ丸」、その北西に「松ノ丸」が配されています。

 

松ノ丸には、西方向へつづらに降りていく大手道がつながっています。松ノ丸東側にも大規模な船着場や炭納屋群のある「水ノ手」へ下りる石段がつくられています。また、本丸の北には川方面へ突き出した「出丸」があり、「水ノ手」や熊野川を見下ろすことができます。特に水ノ手から確認された多数の炭小屋と想定される礎石建物跡は、軍事的な面の強い城跡の経済的側面を示す重要な発見であり、我が国の近世大名家の経済的基盤を考える上で重要な遺跡です。

 

丘陵西側の平地には、「二ノ丸(南郭)」と呼ぶ曲輪があり、現在は私立保育園となっています。周辺には民家も立ち並んでおり、家々の間からは、登城口の高石垣や二ノ丸から水ノ手へと延びる石垣を見ることができ、城内の一部であったことがうかがえます。
現状図ボタン

 

水野家墓所メイン

 

元和7年(1621)、初代新宮城主・水野重仲が卒去し、この地に墓所が定められました。水野氏の所領で、水野重仲の墓がある和歌山市直川の全正寺過去帳によると「全龍寺殿日山常春大居士、元和七年辛酉十一月水野出雲守重仲、紀州名草郡於直川邑全正寺火葬、同州新宮橋本納骨」とあり、この地(橋本)に分骨が納められたことがわかります。

 

 

その後、昭和3年まで順次墓碑が建立されましたが、城主として本葬されたのは、9代の忠央だけでした。しかし、歴代城主と親族の墓碑がまとまった形で現存しており、近世新宮城主の歴史と事跡を偲ぶ貴重な遺産です。
墓所現状図ボタン