もうひとつの熊野三山 薩摩硫黄島
-平安末期の熊野信仰の広がり-
◆日時 平成27年8月23日(日)14:00~15:30
◆講師 野中 哲照さん(國學院大学教授)
◆場所 新宮市福祉センター(新宮市野田)
◆入場無料、申し込み不要
◆主催 新宮市教育委員会、熊野学研究委員会
[講演要旨]
平安末期の安元3(1177)年、鹿谷事件で平家打倒に失敗した藤原成経、平判官康頼、俊寛僧都の三人は、薩摩硫黄島に流されました。『平家物語』によれば、成経・康頼の二人は硫黄島に熊野三山を勧請したことで、1年後に帰洛を果たしました。この話はこれまで、都の作者が辺境の離島のことを想像して書いた虚構だと考えられてきました。しかし、延慶本『平家物語』の記述の解読や現地硫黄島の地形の分析によって、実際に平安末期の硫黄島に熊野三山が勧請された可能性が高くなりました。
これまで、平安末期の熊野信仰の隆盛については、都の皇族や貴族の熊野詣を中心に語られることが多かったですが、今回は、熊野のはるか遠方の地薩摩硫黄島に伝わった熊野信仰について学び、平安末期頃の熊野信仰の広がりについて考えます。
[講師紹介]
~野中哲照さんプロフィール~
福岡県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修了。早稲田大学助手、鹿児島短期大学助教授、鹿児島国際大学教授、放送大学客員教授を経て現職。専門は軍記・歴史叙述。『保元物語』の研究で窪田空穂賞。博士(文学)。