子ども講座「熊野歴史探検」第2回講座「新宮の支配者たちの歴史を探る」(11月17日)実施報告

平成30年11月17日(土)、子ども講座「熊野歴史探検」第2回講座「新宮の支配者たちの歴史を探る」を開催いたしました。講座に参加していただいた皆様、講義を担当していただきました坊先生、そしてご協力いただきました先生方、誠にありがとうございました。

 

では、当日の様子をご報告いたします。

 

午前9時30分、神倉神社第2駐車場に集合し、坊先生から当日の予定、ルートについて説明がありました。

 

 

 

 

 

その後、坊先生と中瀬古先生の講義資料を見ながら、神倉神社→妙心寺→宗応寺→全龍寺→本廣寺→別当屋敷跡→熊野速玉大社といったルートで歩き、各地の歴史や文化財について学びました。

 

神倉神社

まずは、神倉山に登りました。源頼朝が寄進した急な石段を登りながら、新宮と源氏の繋がりを学びました。神倉神社は「ゴトビキ岩」という大きな岩をご神体(神が宿っているもの)としています。ゴトビキ岩を見上げながら、熊野の神様たちの由緒について説明を受けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妙心寺、全龍寺・堀内氏屋敷跡、本廣寺

妙心寺は、昔、神倉神社の本願で神社の修理や建設のために必要なお金を集めるために、全国各地に熊野比丘尼(くまのびくに)らを送り出していたお寺です。神様と仏さまが一体となった神仏習合という信仰について学びました。

全龍寺は、戦国時代に新宮周辺地域を支配した堀内氏の屋敷跡です。本来の屋敷地は、現在の境内よりも広く、現在でも周辺を巡る水路に名残があります。

本廣寺・新宮周防守屋敷跡(しんぐうすおうのかみ):室町時代前半ごろから熊野別当にかわって新宮を中心に勢力をはった7人の僧〈七上綱(しちじょうこう)〉のひとりである周防守行栄(すおうのかみゆきひで)の屋敷跡。こちらも昔は堀が巡っていましたが、現在は暗きょとなり道路の下にあります。

古写真を参考に、みんなで当時の風景を想像しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熊野速玉大社

熊野三山:熊野速玉大社は、熊野本宮大社、熊野那智大社とともに熊野三山(または熊野三所権現)と呼ばれ、熊野信仰の中心地のひとつとして全国からたくさんの人々がお参りに訪れました。熊野速玉大社には、数多くの文化財が残されており、境内地は世界遺産に登録されています。御神木のナギの前で、説明を受けます。熊野詣でに訪れた人々は、ナギの葉を旅の安全を祈るお守りとして持ち帰っていました。

子どもたちも興味深そうに話を聞いていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、初の試みであった子ども講座ですが、参加者の皆様や天候にも恵まれ、無事各回を開催することができました。

市の広報や文化振興課HP「熊野学の森」でも情報発信をしていきますので、今後もご参加・ご協力のほどよろしくお願いします。

 

 

 

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