令和元年10月27日(日)、歴史探訪スクール第5回講座「大嘗祭と神武東遷伝説」を福祉センターにて開催いたしました。講座に参加していただいた皆様、講義を担当していただきました山本殖生(やまもとしげお)先生、誠にありがとうございました。
それでは、当日の様子をご報告いたします。
今回の講座では約40名の方々にご参加いただきました。
本講義の前半は大嘗祭について、後半は神武東遷伝説について講義いただきましたので、紹介します。
前半
大嘗祭とは
新天皇即位後、初めてその年の新穀をもって、天皇が皇祖神(天照大神)と供食・共寝する、一代に一度の親祭であり、日本最大の祭りである。
⑴大嘗祭の日程
4月に新穀を用意する斎国の選定を行い、9月に悠紀・主基両国の神田で聖なる稲穂の抜穂行事を行う。10月~11月に諸準備を行い、10月下旬に天子の御禊行事を行う。そして11月上旬まで、大嘗宮の設営を行い、11月中旬(大嘗祭前日の寅の日)、鎮魂祭を執り行う。11月辰・巳・午の節会(豊の明りともいう)
⑵大嘗祭の秘儀
午後8時に廻立殿で天の羽衣という湯帷子を召して沐浴し、午後9時に宵の御饌、天子が聖なる御饌(みけ)・新酒を供えて神(アマテラス)と共食を行い、寝所で褥と衾で引き籠る(共寝)。午後9時半~10時御饌の撤饌。午後11時~11時半に廻立殿に還り、午前2時からもう一度廻立殿で沐浴し、午前3時に暁の御饌ののち撤饌、廻立殿に戻り、本殿に戻る。
⑶大嘗祭の意味
大嘗祭とは代々天皇の魂を受け継ぐ儀式であるとされている。大嘗祭は、子の月(旧暦11月)子の時刻(午前0時)を中心としており、北方を重視している。北の象徴は北極星であり、その北極星が天皇であるという思想があった。北極星と北斗七星・南斗七星をつないだ角度が67度で、大嘗宮の位置関係も同じ角度になっているという。
別説として、民間の饗食儀礼で、11月5日に家の主人が田の神を迎えて風呂に案内し、収穫した作物を供え祀り、ごちそうする「アエノコト」など、古代の衣・食・住文化の再現儀礼ではないかというものもある。
後半
神武東遷伝説
⑴伝説の概要(『古事記』より)
神倭伊波礼毘古命(神武)が天下を治めるため日向を出発し、豊国、筑紫、阿岐、吉備、浪速、白肩津(東大阪市)に上陸したが、那賀須泥毘古の抵抗にあい太陽を背にして戦おうと南方に迂回し、一行が熊野に至った時、大熊が出現しその霊力に打たれ気力を失う。そのとき、熊野の高倉下が一行に横刀を献じ、荒ぶる神を斬り倒し元気回復した。
その後、神武は大和の荒ぶる神どもを平定し、畝火の白橿原宮で天下を治めた。
まとめ
神武伝説と大嘗祭を比較した際に、類似点・共通点が多く存在している。つまり、大嘗祭から神武伝説が生成されたのではないだろうか。神武伝説は、大嘗祭の各氏族の役割をベースに物語化された壮大なフィクションであったのではないかとのことでした。
講義は1時間半ほどで終了いたしました。参加していただきました皆様、講義を担当していただきました山本先生、本当にありがとうございました。
次回の講座は1月25日(土)、会場は「新宮市福祉センター」で14時から開催します。講義名は「目で見る新宮熊野の近代史(6)」です。講師は、熊野学研究委員会歴史部会委員の中瀬古友夫(なかせこともお)さんです。当日は令和元年度歴史探訪スクールんも閉講式も併せて行います。
参加申込は新宮市教育委員会【文化振興課】へ電話・FAX・メールのいずれかでお申し込みお願いします。参加対象者は中学一年生から大人までです。
中学生、高校生は無料となっていますので、歴史好きの学生さんたちもふるってご参加ください。一講座だけの申し込みも可能ですし、あらかじめ年間を通しての申込みも可能です。一人年間1,000円となっておりますので、ぜひご利用ください。
詳細は下のリンクからお願いします。
今回参加していただいた参加者の皆様、そして新宮・熊野地方の歴史や文化に興味がある皆様。次回のご参加を心からお待ちしております。
文化振興課・連絡先
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FAX:0735-23-3370
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