宗応寺石造五輪塔(6基)

宗応寺に、慶長十一年(1606)の年号が刻まれた五輪塔があります。これは、江戸時代初期の新宮領主浅野忠吉の息子のお墓です。

浅野忠吉は1600年から1619年の間、熊野地域を治めました。丹鶴山(現在:新宮城跡)にあった東仙寺と香(こう)林寺(りんじ)(宗応寺の前身)を権現山の麓に移転させ、最初に新宮城を建設した人物です。忠吉の息子が亡くなったとき、香林寺に葬られるとともに多くの寄附をし、そこで寺の名前が「宗応禅寺」に改められたということです。

宗応寺には、この他にも寛永年間(1624~1644)の年号が刻まれた5基の古い五輪塔があり貴重です。

 

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慶長十一年(1606)の年号が刻まれた五輪塔